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井上陽水・荒井由実・吉田拓郎──3人で読む70年代フォーク/ニューミュージックの時代

編集長AKIRA

2026.05.19 Update

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この記事でわかること

  • 01.井上陽水・荒井由実・吉田拓郎という3人の軌跡を通じて、1970年代の日本音楽が成し遂げた革命を読み解く。
  • 02.「フォーク」から「ニューミュージック」へ──日本のポップスがアルバムという形式で語られるようになった転換点を考察する。
  • 03.シティポップや現代J-POPのルーツを辿ると、必ずこの3人に行き着く。

日本のポップミュージックのルーツを辿ると、必ず1970年代という時代に行き着く。

シティポップが世界で再評価され、YOASOBIやあいみょんが昭和歌謡への影響を公言する今、この時代を知ることはもはや「懐かしいものを聴く」ことではない。
現代の音楽をより深く聴くための「地図を手に入れる」ことだ。

今回は、1970年代の日本音楽を語るうえで欠かせない3人の名前に向き合う。
吉田拓郎、井上陽水、荒井由実。
この3人が成し遂げたことを理解することが、昭和歌謡という広大な音楽世界への最も確かな入口になる。

「フォーク」から「ニューミュージック」へ──時代の転換点

まず、「フォーク」と「ニューミュージック」という言葉の違いを整理しておきたい。

1960年代後半、日本のフォークソングは学生運動と密接に結びついた「反体制の音楽」だった。
アコースティックギター一本で社会への怒りを歌う──それがフォークの原型だった。
しかし1970年代に入ると、その空気は変わり始める。

学生運動の退潮とともに、フォークは政治から個人の感情へと軸足を移した。
同時に、レコーディング技術の進化とシンガーソングライターという概念の普及が重なり、日本のポップスは大きく変容した。
自分で作り、自分で歌い、アルバムという形式で一つの世界観を提示する──この「作家性」こそが、フォークをニューミュージックへと変えた核心だ。

その転換点を象徴する3人が、吉田拓郎、井上陽水、荒井由実だった。

 吉田拓郎井上陽水荒井由実
デビュー(メジャー)1970年1972年1972年(シングル)/ 1973年(アルバム)
代表アルバム『元気です。』(1972)『氷の世界』(1973)『ひこうき雲』(1973)
音楽の核心解放と反骨詩的な孤独と陰影都市の感性と洗練
時代への影響フォーク→ニューミュージックの扉を開いた日本語の詩の可能性を拡張したシティポップの原型を作った

吉田拓郎──フォークを解放した男

吉田拓郎は、日本のフォーク史における最大の「解放者」だ。

1972年7月にリリースされたアルバム『元気です。』は、当時の音楽業界の常識を覆した。
「アルバムは売れない」と言われていた時代に、テレビ出演を拒否しながらオリコン14週連続1位を獲得。
「旅の宿」「夏休み」「祭りのあと」など、今も口ずさめる名曲が揃うこの作品は、アルバムという形式で音楽を体験する文化の先鞭をつけた。

拓郎が解放したのは音楽の形式だけではない。
「自分の言葉で、自分の音楽を、フォークの枠にとらわれずに作る」という姿勢そのものが、当時の若者たちへの強烈なメッセージだった。
「フォークほど”こうでなければ”という規制が多いものはない」と公言し、既存のフォークシーンと対立しながら突き進んだ拓郎の姿は、後のロックバンドたちが体制に反抗する姿勢と根本で重なる。

あいみょんが吉田拓郎への傾倒を公言しているように、その反骨と解放の精神は今も確実に受け継がれている。

井上陽水──日本語の詩を変えた声

井上陽水の音楽の核心は「言語の魔術」だ。

1973年12月にリリースされた『氷の世界』は、日本レコード史上初のLP販売100万枚突破という記録を打ち立てた。
当時は「アルバムが100万枚売れる」などあり得ない時代だった。
それを成し遂げたこの作品は、一部はロンドンでレコーディングされ、グラムロックやジャズの要素を取り込んだ先鋭的なサウンドで構成されている。

しかし私が最も陽水に惹かれるのは、その「詩の異質さ」だ。
「傘がない」で描かれる政治や社会への無関心、「夢の中へ」の不思議な夢想感、タイトル曲「氷の世界」の閉塞感と皮肉──陽水の言葉は、それまでの日本語の歌詞が持っていた「わかりやすさ」を意図的に裏切る。
意味を掴もうとすると逃げていく。
その不思議な感触が、聴く人を何度も引き戻す。

「動の拓郎、静の陽水」と言われた時代。
陽水の静謐な声と詩の世界は、日本語のポップスが持てる表現の可能性を大きく押し広げた。

荒井由実──都市の感性と、シティポップの発明

荒井由実(現・松任谷由実)の登場は、日本の音楽史における最大の「質的転換」の一つだ。

1973年11月20日、まだ19歳だった荒井由実がリリースしたデビューアルバム『ひこうき雲』は、当初ほとんど売れなかった。
しかし、はっぴいえんどの細野晴臣・鈴木茂、後に夫となる松任谷正隆らキャラメル・ママが参加したそのサウンドは、時代の先を走りすぎていた。

ユーミンが持ち込んだのは「都市の中産階級の感性」だ。
それまでのフォークが「地方」「貧しさ」「反体制」を歌っていたのに対して、ユーミンは「東京郊外の豊かな若者たちの感情」を音にした。
「卒業写真」「ひこうき雲」「やさしさに包まれたなら」──これらの楽曲が描く世界は、当時の若い聴衆には「見たことのあるリアル」として響いた。

MUSINAのNo.09でシティポップを特集したとき、竹内まりやや山下達郎の名前を挙げたが、そのシティポップという音楽の「感性の原型」を作ったのは間違いなくユーミンだ。
1973年の『ひこうき雲』から、日本のポップスは都市の音楽になった。

3人が同じ時代に存在したという奇跡

吉田拓郎の『元気です。』が1972年、井上陽水の『氷の世界』と荒井由実の『ひこうき雲』が同じ1973年にリリースされている。
この事実は、改めて考えると信じられないことだ。

3人はそれぞれ全く異なる音楽を作っていたが、共通点がある。
「自分の言葉で、自分の音楽を作る」というシンガーソングライターとしての意志だ。
この意志が、日本のポップスを作家性のある音楽へと変えた。

そして1975年、吉田拓郎・井上陽水・小室等・泉谷しげるという4人のアーティストが「フォーライフレコード」を設立する。
アーティスト自身が主体となって音楽を作り、届けるためのレーベルだ。
この動きは、現代のインディーズ文化やアーティスト主体のリリースの先駆けとして読むことができる。

現代の音楽との接続──ルーツを聴く意味

「なぜ今、70年代フォーク・ニューミュージックを聴くのか」という問いに、私はこう答える。

あいみょんの「マリーゴールド」が持つ叙情性は、吉田拓郎の「夏休み」のそれと地続きだ。
YOASOBIの楽曲が持つドラマ性は、荒井由実が確立した「物語を音楽に乗せる」手法の現代版だ。
Vaundyのコード感の豊かさは、井上陽水が拡張した「日本語の音楽的可能性」と繋がっている。

好きな現代アーティストのルーツを辿ること。それが、まだ知らない音楽への最も確かな入口になる。

まず聴くならこの3枚

吉田拓郎『元気です。』(1972)
「旅の宿」「夏休み」「祭りのあと」を収録した代表作。
フォーク・ニューミュージックの入口として最もとっつきやすい一枚。

井上陽水『氷の世界』(1973)
日本レコード史上初のミリオンセラーアルバム。
「夢の中へ」「心もよう」収録。
「傘がない」の詩の世界に触れるだけで、陽水の異質さが伝わる。

荒井由実『ひこうき雲』(1973)
ユーミンのデビュー作。
当初は売れなかったが、今聴くと50年前の作品とは思えない瑞々しさがある。
シティポップのルーツとして必聴の一枚。

この3枚を聴いた後、MUSINAのシティポップ再発見の記事を読み返すと、日本の音楽の流れがより鮮明に見えてくるはずだ。

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