ジャズを「難しい」と思っているあなたへ。最初の一枚を選ぶ夜
この記事でわかること
- 01.ジャズ初心者が迷子にならないための、最初の一枚の選び方
- 02.50年代の名盤から現代ジャズまで、時代を横断する5枚
- 03.難しい理論よりも、まず針を落としてみる。そこから始まる話
ジャズは難しい音楽だと、よく言われる。
確かに、コード進行を理解しようとすれば複雑だし、サブジャンルを細かく分けていくとキリがない。
「モードジャズ」「ハードバップ」「フリージャズ」「フュージョン」——耳慣れない用語が並ぶと、腰が引けてしまうのも無理はないだろう。
だが、ジャズを聴くのに理論はいらない。
必要なのは、針を落としてみること。それだけだ。
私はこの音楽と半世紀近く付き合ってきたが、未だに新しい発見がある。
そして、最初の一枚との出会い方で、その後の旅路が決まることも知っている。
今夜は、ジャズを「聴いてみたい」と思っているあなたに、5枚のアルバムを紹介したい。
時代は50年代から現代まで、80年近い幅がある。
だが、どれも「最初の一枚」にふさわしい、入口として開かれた作品ばかりだ。
ウイスキーでも、コーヒーでも、白湯でも構わない。何か一杯、手元に置いてから読み進めてほしい。
1. Miles Davis『Kind of Blue』(1959)——始まりはここから
ジャズを一枚だけ選ぶなら、という問いに多くの愛好家が迷わず挙げる作品。
累計売上1,000万枚を超える、ジャズ史上最大のベストセラーだ。
1959年のニューヨークで録音されたこのアルバムは、「モードジャズ」という新しい手法の完成形として知られる。
従来のジャズは複雑なコード進行の中を演奏者が駆け抜けていく音楽だったが、Milesはそれをシンプルなスケール(旋法)の中で自由に泳ぐスタイルに変えた。
結果として生まれたのは、余白のある静謐な音楽。聴き手に呼吸をさせてくれる音だ。
参加メンバーも伝説的で、サックスにJohn Coltrane、Cannonball Adderley、ピアノにBill Evans。それぞれが後にジャズ史の巨人となる面々が、この一枚で交差している。
1曲目「So What」の、ベースが語りかけるような導入。
続くトランペットとサックスの呼応。
初めて聴く人でも「ああ、ジャズってこういうものか」と腑に落ちる瞬間がきっと訪れる。
深夜、部屋の明かりを少し落としてから再生することをおすすめしたい。
2. Bill Evans『Waltz for Debby』(1961)——ピアノの美しさを知る
『Kind of Blue』にも参加していたピアニスト、Bill Evansのリーダー作。
ニューヨークのジャズクラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」でのライブ録音だ。
ジャズピアノと聞いて思い浮かべる「繊細で詩的な演奏」は、ほぼこのEvansのスタイルから派生していると言ってもいい。
タイトル曲「Waltz for Debby」は、彼の姪に捧げられた優しいワルツ。
三連符が転がるように流れるメロディは、一度聴けば忘れられない。
このライブから11日後、ベーシストのScott LaFaroが交通事故で帰らぬ人となる。
そのことを知って聴くと、三者の会話のような演奏の尊さが、さらに胸に迫ってくる。
ジャズは一期一会の音楽だ。そのことを、このアルバムは教えてくれる。
3. John Coltrane『A Love Supreme』(1964)——魂の音楽としてのジャズ
ジャズは娯楽音楽である。同時に、魂の音楽でもある。
この両面を最も象徴するアルバムが、John Coltraneの『A Love Supreme(至上の愛)』だ。
全4部構成、約33分のこのアルバムは、Coltraneが神への祈りを捧げた組曲として制作された。
1曲目「Acknowledgement(認識)」の冒頭、低く響くゴングと、導きのようなベースライン。
そして「A love supreme, a love supreme」と唱えるような声。
音楽というよりも、一種の儀式に近い。
Coltraneは麻薬中毒から生還した経験を持ち、その命を救ってくれた「何か」への感謝としてこの音楽を作った。
理屈を超えた熱量が、録音から60年以上経った今も色褪せない。
難解と言われることもあるが、まず難しく考えずに30分座って聴いてみてほしい。言葉を失うはずだ。
4. Norah Jones『Come Away with Me』(2002)——現代ジャズの扉
ここまで挙げた3枚はすべて50〜60年代の作品。
「古い音楽じゃないか」と感じた方のために、もう少し現代に寄せた一枚を選ぼう。
Norah Jonesのデビューアルバム『Come Away with Me』は、2002年のリリース後にグラミー賞8部門を受賞し、全世界で2,700万枚以上を売り上げた大ヒット作。
ピアノの弾き語りを軸に、ジャズ、カントリー、フォークが溶け合った音像。
厳密には「ジャズ」というより「ジャズの隣にある音楽」だが、入口としては最良の一枚だ。
タイトル曲「Don’t Know Why」を一度でも耳にしたことがある方は多いはず。
カフェのBGMで、CMで、映画で——この曲はいつの間にか時代の耳に染み込んでいた。ジャズは肩肘を張って聴くものではない、日常に寄り添う音楽でもあるということを、Norah Jonesは教えてくれた。
5. Robert Glasper『Black Radio』(2012)——21世紀ジャズの扉
最後の一枚は、現代ジャズの現在地を示す作品。
Robert Glasperは1978年生まれのアメリカ人ピアニスト。
彼が2012年に発表した『Black Radio』は、ジャズ、ヒップホップ、ネオソウル、R&Bを自在に行き来する画期的なアルバムで、「21世紀ジャズ最重要作」と称されることも多い。
ゲストボーカルにErykah Badu、Bilal、Lupe Fiascoを迎え、曲によってはMos Def(現Yasiin Bey)がラップをする。
従来の「ジャズ」の枠を軽々と超えながら、ピアニストとしての深さは失っていない。
Milesが60年代にロックとファンクを取り込んだように、Glasperは21世紀にヒップホップをジャズに取り込んだのだ。
このアルバムを入口にすると、現代のブラックミュージック全体が地続きに見えてくる。
Kendrick Lamarも、SZAも、Thundercatも、みんなGlasperの影響を受けている。
逆に言えば、Glasperから遡って50年代のBill Evansに辿り着く旅路も成立する。音楽は一本の川だ。
どの順番で聴くべきか
5枚を紹介したが、「全部聴く時間はない」という方もいるだろう。
順序をお伝えする。
現代音楽から入りたいなら、Robert Glasper → Norah Jones → Miles Davis の順で遡っていくのが良い。
現代のR&BやHip-Hopに馴染みがあるなら、Glasperはすっと耳に入る。
そこからNorah Jonesのポップさを挟んで、Milesの古典に辿り着く——無理のない旅路だ。
逆に、「ジャズの王道から入りたい」という方には、Miles Davis → Bill Evans → John Coltrane の順番をすすめる。
50年代から60年代へ、時代の流れに沿ってジャズが変化していく様子を追体験できる。
ジャズを味わうための、小さな提案

最後に、ジャズを聴くための「聴き方」をいくつか提案しておく。
これは決まりではない。長年この音楽と付き合ってきた中で、自分なりに辿り着いた愉しみ方だ。
ひとつ、アルバムを通して聴く。
プレイリストをシャッフルで流すのではなく、1曲目から最後まで順番に聴く。
ジャズアルバムは映画のように構成されていることが多く、途中の静かな曲も、前後の文脈の中でこそ輝く。
ふたつ、音量を少しだけ上げる。
ジャズはダイナミクスの音楽だ。大きな音と小さな音の落差こそが魅力。
BGMとして流すより、少し音量を上げて「その場に身を置く」感覚で聴くと、風景が変わる。
みっつ、ライブハウスに行ってみる。
東京ならブルーノート東京、コットンクラブ、ピットイン。
地方でも小さなジャズバーは必ずある。録音では伝わらない空気の振動を、一度体験してみてほしい。
ジャズは古びない音楽だ。
60年前の録音が、今夜のあなたに語りかける。その不思議を、ぜひ一度、あなた自身の耳で確かめてほしい。
どうか、良い夜を。